私が最初にドイツ語に触れたのは高校2年生の4月。
その頃はドイツに留学したい!なんて特に考えていなかったが、通っていた高校(桐朋)では高校2年生から第二外国語を選択しなければならなかった。
選べるのはフランス語かドイツ語のどちらか。
付いていたピアノの先生が昔ドイツに留学されていた事もあって、何となくドイツ語を選択した。
英語もままならない状態で、そうして高校2年生の4月から第二外国語「ドイツ語」の勉強が始まった。
ドイツ音大に行こう!と決心したのはドイツ語選択してから2か月ほどが過ぎた高2の6月頃。
家族会議の末ドイツに行くことを(勝手に)決心。
その時は、留学の事を先生にはまだ伝えていなかった。
ちなみに、進路だったりコンクール挑戦だったり、そのようなことを先生に伝える・相談するというのは非常に勇気のいる行動である。
反対されるんじゃないか、呆れられるんじゃないか、そんな思いがわいてくる。
留学準備を始めて直面する最初の壁といってもいいかもしれない。
私が先生に伝えてから承諾を得るまでの話はまた別のときに。
さあ、ドイツへ行くぞと決めたらまずやるべきはドイツ語の勉強。
どうやらB1、B2といったレベルのドイツ語試験をパスしないと入学ができないようだ、という事を大学のホームページから読み取った。
その時はまだ、「こんにちは」「おはようございます」「お父さん、お母さん」なんていう事しか勉強していなかった私は、その日からドイツ語の猛勉強を始めることになる。
願書提出まで残り1年半という頃だった。
<簡単 ドイツ語能力早見表>
A1 | 始めたばかり |
A2 | 簡単な会話ができる/自分の考えを簡単にまとめることができる |
B1 | 与えられたテーマ(冷凍食品についてどう思うか/子供は学校でインターネットを学ぶべきか/など)に対してプレゼンで自分の考えを発表できる |
B2 | 日常生活の中でドイツ語に困る事は無い/専門的な話も簡単な言葉で自分の意見をまとめられる |
C1 | 専門的な話も用語を用いて自分の考えをしっかりと伝えることができる |
C2 | 母国語話者とほぼ同じ |
ドイツ語の勉強は大変だ。
本当に辛かった。
ドイツ語は英語と非常に良く似た言語だ、というが、そもそも中3の時に英語の勉強を一旦止めて受験の為ピアノの練習に集中してしまった私は英語が得意ではなかった。
英語ができるのであれば、
英語でのあの表現がドイツ語ではこうなのね
と、理解も早かったと思うが、英語ができない私は「全く新しい言語」としてドイツ語を1から勉強することになる。
丁度ドイツ語の勉強を始めたのと同じころ、学校生活にも少し変化があった。
高校の伝統(?)行事である「ミュージカル」の準備が少しずつ始まっていた。
高校に入る前からこのミュージカルの存在は知っていたが、中学生のときから
「舞台で演じて歌うなんて私にはとても出来ない。裏方でひっそりと仕事をやりたいな。」
なんて思っていた。
母は、
歌ってほしいな~✨踊ったりね~✨楽しいんじゃない?
なんて言っていたが、私としては「No!」だった。
ミュージカルの配役などでなんとなくみんながソワソワしてきて、学校の廊下やお昼休みの教室などがその話題で持ち切りになることも増えてきた頃。
学校の教室にクラスのみんなで集まって、まずは主役やらヒロインやらを演じる人たちのオーディションがあった。
私は「役」はやらないと決めていたので、オーディションの日は気楽に投票をするだけ。
配役のオーディションでは、それに関わる人たちの中で何やら揉め事もたくさんあったようだが、私にはあまり関係がなかった。
そして最後、それ以外の仕事の係りを決めるという日。
私が選んだ希望の仕事は「照明」だった。
最終的に決まった私の仕事はなんと「監督」だった。
ドイツ語というのは、すべての名詞に「男性・中性・女性」が決まっていて、それによって何十通りもの冠詞変化がある。
全て覚えて使いこなせるようにならないと、正しいドイツ語を話すことはできない。
長文読解でも同じだ。
冠詞ひとつで文の意味が変わってくるので、果たしてこの「den」は男性名詞4格の”den”なのか複数形3格の”den”なのか・・、などと訳が分からなくなってくる。
長文読解は私が最も苦労した苦手分野だ。
そもそも、勉強する時間の確保がまず難しかった。
サラリーマンで溢れかえる満員電車に揺られて往復4~5時間通学、家に帰ったら急いで夕飯をかき込みピアノの練習、やるべき事すべてが終わってからドイツ語の勉強が始まる。
語学学校に通わなくともテキストだけで勉強できるはずだ、という考えがあったので、アマゾンで模擬問題集を購入し、あとはインターネット上でドイツ語の記事などを読んで勉強していた。
模擬問題集以外には「DW (Deutsche Welle)」というドイツ放送局のサイトを使っており、その中から記事を3つほど、毎日必ず読むという課題を自分に与えていた。
このサイト、ドイツ語学習者にとって最高のサイトで、A1~C2までレベル別に様々なジャンルの記事が掲載されている。ほぼすべての記事にオーディオが付いており、練習問題が付いている記事もある。もちろん、利用は無料。
このサイトの中で1つ、「ドイツ語のことわざ」のようなものを解説しているコーナーがあるのだが、その中の記事がどれもどうしても理解ができず、そのカテゴリーを勉強していた時期は特に毎日毎日が本当に苦しかった。
夜23時頃、ピアノの練習を終えてからパソコンの前に座り、強い眠気と闘いながら鉛筆片手に記事を読んでいた。
何日勉強してもいつまでも記事の内容が理解できていないような気がして、常にもどかしい気持ちで一杯だった。
ほぼ半泣き状態だったと思う。
とにかく単語を覚えない限りは話が始まらないと思い、記事を読んで分からなかった単語をメモ帳に書き留めて毎日の往復の電車の中で覚えた。
聞き取りの勉強という事で「DW」のオーディオ記事を電車の中で聞いたりもした。
この頃はほぼ毎日、0時過ぎに寝て朝は6時頃に家を出る生活が続いていた。
ミュージカルの準備が本格的に始まってからは、本当に、本当に、休む暇など1秒も無く常に何かに追われている毎日だった。
ミュージカルの監督業はとっても楽しかったが、気が強い子や癖が強い子が多い(💧)音楽科の生徒30人をまとめるというのはなかなか大変な仕事だった。
あんなに痩せたいと思っても落ちなかった体重が、本番前の約2か月で簡単に7kgほど落ちた。
その頃にはドイツ語の勉強もどんどん難しくなっていき、B2レベルになるとより一層訳の分からない、理解ができない記事も増えていた。
毎日長くて4~5時間という睡眠時間の中、ドイツ語勉強、ピアノ練習、ミュージカルの監督、そして大学受験の準備各種(家探しや願書作成など)をこなしていた。
今思い返しても、これまでの私の人生の中で一番忙しかった時期だと思う。
ドイツ語の勉強は本当に大変だったが、結局、高校を卒業してドイツへ飛ぶまで日本では1度も語学学校に通わなかった。
1番の理由は「そこにかけるお金が無かったから」なのだが、実際のところお金があったとしても通っている時間など無かったと思う。
勉強している時は、「書いてある全ての単語の意味を分かっているのに、文の意味が全く分からない」という事もしょっちゅうで、挫けそうになることも多かったが、挫けるわけにはいかなかった。
とにかく根気、ガッツだけでどうにか乗り切った。
留学生活、特にドイツ暮らしが始まって最初の頃はハプニングが多くどうしようと思う事も多々あったが、どれもこれも挫けずめげずに乗り越えてきた。
準備の段階であれほど頑張ったからこそ、その後起きる様々な問題にも何とか対応してこれたのかもしれない。
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